形状記憶メンヘラ

粗悪品につきなんとやら

掌には何も無い

 

 

 

絵を描くのが好きな子供でした。

こういうことを言うと過去形みたいですけど、別に今も描いてます。小学生の時からずっと好きだと思っていて描き続けて、飽き性なわたしの趣味兼特技のひとつなんじゃないかなって。何年もの間そう考えてました。

でも小学生だからこそ許される絵のクオリティがあって、そういった基準は歳を重ねる毎に高くなっていって。別にひとが何を趣味、だとか特技とか言おうとも他人には全く関係ないんですけどね。わたしもこれが自分自身の問題で無ければそういうことを心から思って*1言うはずだってわかってはいます。こういうことを書くと意識外の無責任なのバレちゃいますね。まあ元よりクソ人間なのでどうでもいいけど。

 

 

最近わたしが口にする言葉に「掌には何も無い」というのがあるんですけど。

 

普通は特技とか長所とかあるじゃないですか。もうなんでもいいです、先に述べたように絵が上手いとか歌が上手いとか頭が良いとかスポーツが出来るとか。性質的なものだけじゃなくて外見的なこととかも含みます、スタイルが良いとか顔が可愛いとか最高ですよね。そういう他人から抜きん出てることぜーーーんぶ含めて。

わたしはそういう所謂才能というものを持ち合わせている人間が本当に羨ましくて、ああいいなあって苦しくなる程羨んでから自分の持ち物を見ようって掌を開くんですよ。

 

で、そしたら何にも無いんです。

 

思えば幼い頃から何も持たない人間でした。今でこそちいさなときの自分を評価することがありますけど、当時のわたしは学校で長所を書かされた時に本当に何も思い浮かばなくて唸りまくってようやっと「優しい友人がいること」というのを捻り出した思い出があります。ウケる。あと顔のことは訊かないでください。

 

こういうこと言ってると「努力が云々〜」って人間が湧いてくると思うんですけど、わたしだってそんなド正論は分かっちゃいるんですよ。どんな才能だって基本的には努力無しには維持は難しいし、それによってある程度は進歩するってのも知ってます。でも世の中はそれ以上に持ち合わせていることの方が強いんです。

わたしは元々*2運動の全く出来ない子供で、100m走を23秒とかで走っては他の人間に「途中で転んだの?」とか訊かれるような状態でした。でも中学に上がって何を血迷ったかバスケ部に入部して、引退するまでずっと努力してきた(はず)でした。でも周りの運動が出来る子には敵うはずもなく、最後までずっとスタメン入り出来ずベンチで応援をしているだけ。結局バスケ自体もそんなに上手くはないのでチームや後輩にも還元できないままでした。

他に。わたしにはアイドル並みにすごく顔の可愛い友人がいるのですが、その子に化粧の方法を訊いても「やらないからあんまりわかんない…」の一点張り。元が可愛い人間はいじらなくてもやっぱり可愛いんだなあと最早感嘆してしまいます。一方のわたしはちょっとスキンケアに力入れてみたり、化粧の仕方を工夫してもずっと肌の汚いブスです。正直殺してほしい。

努力というのは元から持ち合わせているものに掛け合わせていくものであり、何も持たない人間がしても持ち合わせている人間には結局のところで負けてしまうんです。極論でいうとゼロに何かけてもゼロっていうアレですね。

 

そして持ち合わせているもの(=他人より秀でている点)が人間の価値に分かりやすく直結するのは言うまでもないと思います。

 

知り合いが「自分の価値なんて他人に求めるな、自分で探せ」と言っていたのを聞いて、当時中3だったわたしはひどく感動した覚えがありました。今聞いてもまあそれはそうって感じなんですけど。

でも結局自分で自分のこと見たってマイナスばっかりじゃないですか、他人に訊きたくなるじゃないですか。ここでやっと冒頭の絵の話が出てくるんですけど、やっぱり自分以外からの自分の評価を欲しがって不特定多数に向けて発信するわけです。これはわたしにとっての絵に限らず自撮りでも推しへの愛の強さ(を暗示したなにか)でもなんでも構いません。でもその不特定多数の空間は当たり前ながら自分だけのものではないから、否定的な意見だっていっぱいあるしそれ以上に自分より秀でているような方ばっかりなんです。ただ肯定してもらいたいばかりに自分の首をギチギチと可愛く締めていく。どんどん削っていくような気持ちになります。健全なアウトプットが出来る人間ならそこから取り入れるものもそんなに捻じ曲がって無いでしょうけどね。ていうか健全なアウトプットってなんだ?

 

ここでそもそもの話をしますけど、自分に何も無いと感じている人間とその人間には価値があると考えている(もしくは人間に価値が無いという考えに至らない)方々というのは、根本的に違い過ぎて基本に分かり合えないんです。ネットではなく、リアルのほうでわたしの周りにいるひとたちは有難いのか有難くねえのか知らないですけど後者が多いです。なので当たり前のようにわたしに価値があること前提で将来があるような質問を投げかけてくるので、やっぱわたしすごく屑だし惨めだなあっていつも思います。やりたいことはないの?とか。秀でてる点が一個もないし自らのことを好きになれないのになかなか思い浮かばなくないですか。何にも貢献せず無駄に生きてきて学んでこれだけは確かだと思うんですけど、価値が無い人間には将来が無いんですよ。或いはネガティブ思考からポジティブイメージは発現しないというのも近いかも知れません。どうせ良いことなんてひとつも言ってないから何でもいいんですけどね。

 

 

ここまで書いといてなんですけど、恐らく自堕落である屑みたいな自らを正当化するためにこんなくだらない文章をつらつらと打ち込んでいるのが気持ち悪くなってきました…。ていうか電気が切れかかっててチカチカしてる中で半引きこもりがスマホいじってるとか恐怖でしか無いですね、ハハハ。

 

唯一わたしの掌にいると思っていた若さも消えてしまったので、どうにかして鬱を治すか死ぬかしたい今日この頃です。

それでは、さよなら。

*1:胡散臭い

*2:正直今もですけど