形状記憶メンヘラ

粗悪品につきなんとやら

疲れたので適当に書きました

 

 

お久しぶりです。8月に入り本格的な夏の暑さが訪れていますが皆様いかがお過ごしでしょうか。わたしは毎日クソ暑いので世の中を呪っています。というかここ1ヶ月近くブログの更新をしてなかったのでついに死んだか…と思ってた方もいらっしゃるかもしれませんが、ごめんなさい。残念ながら生きてます。

 

社会貢献出来ない*1自分の話なんですけど。

わたしは基本的には子供も産みたくないし*2長生きもしたくないし、そもそも生きていたくもないんです。だってめんどくさいじゃないですか。勝手な見解として今すぐ死にたい人間ってのはいくつかパターンに分かれてて、わたしはそのなかで『もう人生嫌すぎる死にたい』と『不安だ生きていたくない』を繰り返しています。多分。

わたしは高校中退の後、現在は進学のために準備をしています。それはいつまでも扶養の中で生き腐ってる訳にはいかないし、ある意味死ぬために今未来へ進んでるみたいなパラドックス的状況で。やりたいことのはずなのにやらなきゃいけないっていう変な感じですよね。ていうかやっぱ進学って普通のひとからしたらやりたいことだと思うんですよ。そりゃ学歴社会みたいなとこあるし進学校とかに通ってるひと*3から見た世の中は高卒のひとが圧倒的に少なくて、絶対に進まなきゃって思ってるひとも多いから一概には言えないですけど。でももう少しだけ、レールがあるんじゃないかなって。

進むべき一般的な道が見えないというのは非常にしんどいと思います。レール通りの人生という言葉は批判的に扱われがちですが、わたしはすごくいいと思います。だって普通の何が悪いんですか、何にも悪くないじゃないですか。社会は集合体なんだからマジョリティとマイノリティが発生して当然であって。ていうか普通が悪いのではなく普通以外を排除する考え方や傾向が悪いんでしょ。まあ割とわたしは排除される側なんですけど。

「レールの敷かれてる人生を何も考えずに生きるよりずっといい」とわたしに言ってくれた大人がいました。それはバイト先の社員さんで、(少なくともわたしから見える面だけで言えば)普通寄りの人生を歩み割と名の知れた会社に勤めるちゃんとした大人のひとでした。わたしは確かにこのとき、他の同年代の子達に比べて劣っていると苛まれていた中途半端な自分を肯定されたように感じたのです。が、それと同時に何も考えずに歩めるレールの決まった人生に焦がれてしまっていることに気付きました。

小さい頃から、少しだけずれてるねと言われ続けていたけれどそれを別にネックだとは全く思っていませんでした。同意を得ないと生きてけないなんてクソつまんねーと思っていたし、わたしは変わった子としてひとと違った感性を持っていきたいとずっとずっと思っていました。でも実際に一般的な道からドロップアウトしてみたら、わたしは没個性を恐れるとともに普通に強い憧れを抱いてしまっていて。ただでさえつまらない自分が年々更に面白みを失くしていく恐怖は確かにそこにあったのに、今迄分かち合えなかった同意や多数派を求めてしまっているんです。恐らく普通とつまらないことはイコールだという浅はかな考えを持っていて。普通というのは概念で、厄介ではあるけれど悪いことではなかったというのがやっと見えたという表現が正しいのかも知れません。

 

わたしはこれから先、ドロップアウトしたままどんどんつまらない人間に成り果てていくんだと思うんですけど。すごいそれ考えるだけでめちゃくちゃ鬱になるのでやっぱ死にたいと思います。

 

ていうか有象無象が全部死ね。

 

それではさよなら。

 

 

*1:まあしようとも別に思ってないですけど

*2:恐らく育てられない

*3:中退した高校が、卒業後は大学進学or浪人という二択しかない進学校でした