形状記憶メンヘラ

粗悪品につきなんとやら

鬱くしいメンヘラのわたし

希死念慮と自殺企図。
最近耳にして調べて、ふーんと思った言葉です。ふーんはふーんなのでそれ以上でもそれ以下でもありません。

 

 

希死念慮を抱え始めたのはいつですか。


みなさんご存知もしくはお察しか知りませんが、わたしはいわゆるメンヘラという括りの中にいます。精神を患ってる人間です。重い気持ちに苛まれ昼夜関係なくふとした瞬間に死にたくなる感じの人種です。健全なこころをお持ちの方はきっと死にたいなどと思うことは無いでしょうしそっちのが断然いいに決まってるのですが、わたしの周りにはそうではない方々も多くいるので。
わたしが最初に死にたいと思ったのは小学生くらいだったかと思います。まだ大人と一緒にお風呂に入っていたようなちいさな頃です。ふとした瞬間にぽつんと「死にたい」と呟いてしまって非常に怒られた記憶があります。だからそのときはそれっきりです。
中学に入り、高校受験を控えた夏にわたしはリストカットをするひとと出会いました。わたしはそのひとのことが好きでした。恋愛的な意味です。ひとつ上の高校生で、字が汚くて、男っぽくて、精神が不安定で、花が好きで、確か境界線人格障害で、わたしにも優しくするくせに全然わたしのことなんか好きじゃなくて、でもその代わりにあるアイドルが大好きでたまらないひとでした。最初はそのひとがリスカしてると知ったので、気持ちが知りたいと思って真似してみようくらいでした。カミソリなんか無いので、身近にあったカッターを手に取って恐る恐る。全く痛くありませんでした。今思えば、受験のストレスを抱えていたのかもしれません。当時のわたしはヘラヘラしていたので実際のところは分からないです。取り敢えず確実に言えることは、このときに通常の人生でなら非常に無益な行為を覚えたということです。
そしてわたしは第一志望校に合格し、高校生になりました。そこそこの進学校に入ったわたしは周りとのギャップに悩むことになります。話も合わなければ、学力も全く合わないからです。部活には入りましたが、練習はキツいしやはり上手く話が出来ないのです。入学して1ヶ月で学校を少しずつ休むようになりました。そして夏前くらいからまたリスカを繰り返すようになります。恐らくこの時点で希死念慮を抱え始めます、たぶん。正直高校に通っていた時の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているので分からないのです。ただ覚えているのは、ばれにくいようにアムカにしたときその痕をうっかり先輩に見られて先輩が固まってしまったことと、ひとことでも喋ると同学年のチームメイトに変なことを言っているような目で見られて会話が止まってしまうからずっと黙っていたこと、クラスでの行き場のない生活だけです。ていうか出来事というよりは、時間軸が全く思い出せないんですよね。色んな先生に怒られながら、学校にも行けず家にもいられないで繁華街を歩いたりマックでひたすら時間をつぶしていたつまんない毎日のある日。限界がきました。

 

 

自殺企図をしたことがありますか。


わたしはあります。遺書を書きました。わたしが全て悪いです、出来損ないでごめんなさい。今まで育ててくれてありがとう。お世話になったみなさん、さよなら。そんな内容だった気がします。ベッドの上に紙切れを置いて、洋服のラックにパソコンのコードを括り付けて首を絞めて死のうと思いました。でも首を通して体重をかけても苦しくて怖くて死ねなくて。死ぬことすら出来ないのかと情けなくてベッドに突っ伏して泣いていました。そのまま気付いたら寝てしまっていたみたいで、起きたらソファの上で横になっていたわたしの横に母がいました。片付けられなかった遺書みたいな駄文を読んで、母はわたしが何をしようとしていたかを全部知ってしまっていて。わたしのことを抱き締めて「もう無理しなくていいよ」と言ってくれて、そうしてふたりでもう一度泣きました。実はこの日の前日に本当は死のうと思っていたのですが家に帰る途中で父と会いやめたという経緯があり、こんなクズにでも虫の知らせってあるんだなあと思ったのを覚えています。こうしてわたしは学校に通うのをやめ、そして結局中退しました。


学校に通わなくなって病院で睡眠導入剤をもらったり抗不安剤をもらったりして、通っていた病院の先生の方針で病名ははっきり出ませんでしたが鬱病みたいなものなんだなあと自分で思いました。あと発達障害があることもわかりました。こんな歳になってはじめて障害児という扱いを受け、書類を見たときなんだか面白くて笑ってしまいました。だって児ってつく年齢じゃなくないですか。周り小学生もいたし。

 

 

ここまでもこれからも一貫してどうでもいい話ですが、わたしが他人からもらって今でもちゃんと覚えている言葉がふたつあります。
ひとつめは自殺未遂をしたあと部活の顧問の先生に言われた「学校なんて死ぬ思いして通う場所じゃない」というもの。これは今だから言えることですが、学校以外にもわたしのいられるフィールドってのは結構あって普遍的な生き方に固執しなきゃそっちでだって結構生きていけるのです。
そしてふたつめはわたしが高校に通えていないことを知ったときにバイト先の社員さんが言ってくれた「レールの敷かれている人生を何も考えず生きるよりずっといい」というものです。この方は不登校ということで色んなひとに嫌な顔をされてきたなかで、初めて肯定的なことを言ってくれた大人でした。わたし自身わたしのなかで、当時及び現在の状況は満足いけてる訳じゃないし不安でいっぱいで。全くそんなことはないのに勝手にちょっと救われた気持ちになって大泣きしてしまった迷惑なやつです。ほんとに。

 

 

そうしてバイトなどを通して社会に出られるようになった今。希死念慮がなくなったかと言われればそうでもありません。顔が可愛くないから死にたくて、頭が悪いから死にたくて、要領が悪いから死にたくて、色んな人に迷惑をかけてるから死にたくて、将来が不安だから死にたいです。だって生きてるのってつらいもん。生きるのやめれば全部なくなるんじゃないかってそう思います。だからあの日死なないで生きててよかったと思えることは未だないけど、やっぱり死にたいけど。でも死ぬ妄想は出来ても、死ぬ勇気はまだちょっと足りてないので。だからこれからも死ねずに無駄に人生を浪費してくんだろうなあと思っています。

 

 

私信!わたしのこと好きでいてくれるぽまえら!いつも迷惑かけてごめんな。我儘で情緒不安定でごめん。こんなだけど一緒にいてくれてありがとう。ずっとぽまえらのことすきだよ。

 

 

最後のひと段落が気持ち悪すぎて蕁麻疹でそう。

それでは、さよなら。